夢をみるのが好きだった。

曖昧とした意識の中で、漂うように、フワフワとした感覚の中でみる夢は、不思議と過去の出来事や日常の緊張や責務とは 無関係の穏やかなものばかりだったから。
けれど、目を覚ますことが怖かった。
眠る前にあったはずの現実が、居場所が、本当はそれこそがただの夢で、起きたら悪夢のような闇の中にいるのではないかと、 怯えが常にあったから。

――――俺にとって、睡眠をとり、夢をみるということは、一時の安らぎ以上に、恐怖がたしかにあったのだ。





考えてみれば、熟睡というものとは縁がなかった気がする。
いつも浅い眠りばかりで、夢もみないような深い眠りだったことはほとんどなかったはずだ。
淡い電気をつけて、いつだって目覚めへの怯えを従えたまま、夢の世界へと旅立つ。
夢をみるのは、脳が蓄積しすぎた情報を整理するため、不必要だと認識した情報を「忘れる」ために「夢」として映すのだと何かの 書籍で読んだことがある。
だから、夢をみた記憶は目の覚めた時にあまり残っていない。
そうして感覚だけが残るのだと・・・夢でみた喜び、悲しみ、恐怖。俺の場合は、ただ強い感情などは残らない、穏やかな、そんな 夢ばかりだったのだと思う。
不揃いのパズルのように繋がりあわない夢の記憶を必死に手繰りよせても、思い出せるのは、現実とは関係のないような、 意味不明な映像ばかりだ。
それに「不必要」な情報をみるのが夢の意味なのだとしたならば、成程そうか。
組織に関する夢をみないのは、組織至上の俺にとっては当然のことなのだろうとも思った。



「・・・ベルナルド、寝ねぇの?」

「ん?あぁ・・・そうだね」

すぐ隣にいる鮮やかな金髪を愛しげに眺めていれば、その主はそれをどう理解したのか、まるで牽制でもするように俺を軽く睨んできた。

(あぁ、ちょっと上目使いなのが可愛いな)

俺は一つ笑いを漏らすと、柔らかなそのブロンドへと手を伸ばした。
ジャンの髪は特別な手入れをしている訳ではないのに、女たちから羨望の眼差しを向けられているだろう、相変わらずの最高の仕上がりと 手触りだ。
何度も何度もその髪を撫でては、感嘆のため息を漏らしそうになるのと同時に、自分が誰よりも彼に近い場所にいられるという幸福に あっという間に満たされてしまう。
自然と、目元も口元も緩んでいってしまうのは、しょうがないというものだろう。

「こぉら、ダーリン」

「なんだい、ハニー」

「なんかちょっとイヤラシイ目をしてるわ。まだ足りないっていったら私ベットから出てっちゃうから」

わざとらしく口元を尖らせる姿に、湧いてくるのは可愛いとか愛しいとか、そんな感情ばかりだから困ったものだ。
つい先程まで、何度もジャンの体に触れて、舐めて、抱いて、繋がって。溶け合うくらいに、繋がって。
ジャンを知るまで自分にはあるはずもないと思っていた情熱というものがその肌に触れるだけで、たった一瞬で体中を駆け巡っていく。
あれだけ掻き抱いたばかりなのに、こうしてまた熱が際限ないくらいに湧きあがるのは、自分のどこかがおかしくなってしまったんじゃ ないかと不安になるくらいで。
俺は意識的に困った表情を作りながら、愛しい存在が俺の傍から逃げてしまわないように、抱き寄せて、その髪へと頬を寄せた。

「フフ、ひどいなハニー・・・君のいないベットでなんて、寂しすぎて、とてもじゃないが眠れやしないよ?」

「あら、じゃあ一晩涙で枕でも濡らしたら?」

クスクスと笑いを零しながら悪戯にそんな言葉を投げてくるけれど、その手はそっと、先程の俺と同じように、俺の髪をそっと 撫でた。
細い指先が俺の髪をゆっくりと梳いていくのは、ひどく気持ちがいい。

「・・・なんて、やっぱりやめとこ。これ以上ダーリンの額が広がっちゃったら、良心の呵責に耐えられないもの」

「優しい言葉が心に沁みるよ・・・」

本気とも冗談とも掴めない恋人の言葉に苦笑が浮かんでしまう。
ジャンはにやりと口元に笑みの形を作ると、うーそ、とチュッと額にキスを落とした。

「まぁ冗談はこれくらいにしといて、と。アンタが熟睡するのを見届けるまでは、ここから動く気ねぇから安心しろ」

いっつも俺が先に寝ちまうからな〜と零しながら、俺の頭をポンポンと叩いた。
まるでマンマが子供を寝かしつけるような仕草だ。これで子守唄まで歌われたなら完璧と言えるだろう。

「・・・嬉しいけど、一体どうしたんだい?」

率直な疑問を返せば、ジャンは俺の眼鏡を右手でそっと奪うと、枕元へと置いてしまった。

「ん?アンタ、最近あんま顔色良くねぇぜ?ちゃんと寝てんのかボスとしてチェック〜」

「おや、ボスとしてだけかい?」

「・・・はいはい、恋人としてもですよ」

ちょっと目元を朱に染めながら照れ隠しのように髪を引っ張られた。
恋人が心配してくれるのはもちろん嬉しいし、こうして甘やかされるのも何とも心地いい感覚だ。
実際最近は俺の仕事を引き継いで間もない部下たちへのサポートで多忙を極めていたため、ジャンが指摘した通り、睡眠時間は まともに取れていなかったし、株価の変動が不安定だったせいで神経もずっと張り詰めたままだった。
睡眠というよりは、うたたねという表現が的確かもしれないぐらいだ。
だが、そういうものには慣れ過ぎている。脳の活動速度はいささか衰えてしまうだろうが、判断を間違えることはないし、 特別体調も優れていないということもなかったはずだが。
俺の考えが読みとられてしまったのだろうか、ジャンはハァ、と溜息をついた。

「ベルナルド、お前、自己管理も大切だぞ。慣れてて麻痺してんのかもしれねぇけど、いつもの倍、顔色が良くないっつーの」

そうなのだろうか、だとしても疲れを普段以上には感じていないのは、やはりこうしてジャンと共にいるためだろう。
しばらく触れることのできなかったジャンに思う存分触れることもできて、その笑顔を自分だけが独占できている。
ボスとしてではなく、ただただ愛しい、年下の恋人であるジャンカルロを。
・・・心身ともに満たされている、心底そう思う。

「すまんね、自分のことには疎くて。でもお前がこうしていてくれると、本当に癒されるよ。ラッキードッグには安らぎ効果の 他に、栄養剤効果もあるんだね」

「・・・疲れてるんだし、あれだけ激しい運動もしたワケだし?さっさと寝てしまえ、エロ眼鏡」

その言葉に思わず声を出して笑うと、窘めるように睨まれてしまった。

「ジャンの期待を裏切ってしまって申し訳ないけど、俺はあんまり熟睡できないタイプでね」

「・・・そうなのけ?」

ジャンが知らないのもしょうがないことだ。ジャンと共にいる時、ジャンよりも遅く眠りに落ちて、目が覚めるのも彼より早いのだから。
元々眠りも浅く、泥沼のように眠りに落ちることもないに等しい。よほど限界にまで追い詰められた後に与えられた睡眠でさえ、 完全に一人の空間でなければ、意識はどこか現実に向いているのだ。
他人の存在があれば、俺の場合、どんなに近しい人間であろうと警戒の念が解けることはないため、眠りはひどく浅いものとなる。
ジャンとこうしている時は、真逆の意味で、浅いものになってしまうのだが。

「ジャンといる時は、眠りたくないくらいだしね」

「なんだよそれ。俺の顔なんていっつも見てんだから、ちゃんと寝やがれ」

「ハハ、ジャンのことはいくらだって眺めていたいさ。お前の笑顔も、寝顔も、俺の傍にいるお前をいつだって、ね。
お前が俺の隣にいるというのを何度だって確認したいんだよ」

これは夢じゃない、いつか覚める幻想なんかじゃない、と。
いくら触れたって、俺の手を握り返し眩しい笑顔を返してくれることに偽りなんて一欠けらだってないと分かっていながらも、 分不相応とも感じる幸福は時に不安ですらある。

「ジャン、知ってるかい?夢を見るのはね、忘れるためらしいんだよ」

「忘れる・・・?」

「整理しきれない情報量になる前に、不必要だと認識したことは夢として投影して、そして忘れる。
だからかな、俺は必ずといっていいほど夢を見るけれど、それはどれも組織には関係ないものばかりでね」

そして・・・・・ジャンに関しての夢も、見たことはない。
きっと夢の意味が正しくそれなのだとしたら、俺は一生ジャンの夢を見ることはない。
彼のことに関して、忘れていいことも、忘れてしまいたことも、あるはずがない。

「組織も・・・ジャンも、きっと俺の夢に出てくることはこれからもないんだろうね。お前の夢にも、一生俺が出てこないことを 祈らずにはいられないよ」

「夢」という無意識下であっても、忘れるべきだと、そうジャンの中で判断されてしまったならば。
分かっている、ただの一説に過ぎない。けれども、彼の寝顔を見つめては、そんな不安に駆られる俺は、所詮、ジャンに関しては いくらでも弱くなれる男なのだろう。

(お前の寝顔見ながら、寝言で俺の名を呼ばないことを祈ってるなんて知ったら、呆れるだろうね)

ジャンは違えず俺の真意を読み取ったのだろう、困ったような、愉快そうな笑みを浮かべて、俺の髪を一撫でした。

「残念だけど、ベルナルド。俺はお前の夢を何度も見てるぜ」

ジャンの瞳は、ひどく優しかった。

「だってアンタの夢を見なかったら、それこそアンタのせいで俺の頭はパンクしちまうぜ。どれだけ一緒にいて、お前のこと 見てると思ってるワケ?少しぐらい整理させてくれなきゃ、俺、ボスじゃなくて只のダメ男になっちまうっつーの」

お前が考えてるよりずっと、俺の頭ん中はお前で埋まってるよ、そう笑うジャンは、眩しくて、鮮やかで・・・。
こんなにも色彩豊かなお前をずっと見ていたい。
知っているかい?夢とは比べ物にならないような穏やかさも、俺には似つかわしくないと すら感じていたはずの情熱も、すべて俺に与えてくれるのはお前なんだよ。

「・・・お前を見れない時間があるだなんて、睡眠だろうと憎らしいね」

「俺はこうしてアンタの腕の中にいるんだから、安心して眠ればいいだろ。
俺は消えないよ、ベルナルド」

ギュッと俺の頭を抱きしめて、目元に口づけを一つくれる。
触れる皮膚の体温、響いてくるジャンの心音。空気ですら、今はジャンの匂いで満たされて。


・・・急に眠気が訪れた。


「ハハ・・・何だか、すごく眠くなってきたよ」

「そうかよ、さっさと寝ちまえ」

「ん・・・ジャン、この、まま・・・」

「あぁ、ずっとこうしててやるから・・・おやすみ、ベルナルド」

不安も恐怖もない、ただただ穏やかなままに落ちていく夢の中。
こんなにも心地の良い瞬間は、初めてかもしれない。





・・・・・遠くでジャンが笑った気がした。
















「本当に困った人ね、ダーリン」

安心しきったように寝息をたて始めた恋人に、笑みを浮かんできてしまう。
警戒心の強すぎるこの男を、こうして穏やかに眠りに導けたのだ、恥ずかしいが嬉しくもなる。

「アンタも俺の夢を見ればいいんだよ。溢れるくらいに、俺のことでいっぱいになっちまえ」

慣れ親しんだベルナルドの匂いを吸い込んで、俺も眠りの世界へと向かうべく、ゆっくりと瞳を閉じた。

















夢を与える人。
(俺ばっかりアンタの夢見てるなんて、ズルイだろ?)
(・・・ん、ジャン・・・・・)
(ッ・・・ハハ、あいよ、ダーリン)












 END.










随分昔に夢は忘れるために見るっていうのを何かで見たか読んだかしたので・・・。
夢に出てくるぐらいっていうのもいいですが、逆はどうだろうと思って書いてみました。
最後まで読んで下さって、有難うございました。




2009年11月11日