神様なんていない。
祈る存在など欲しくない。
願うならば、それは自分の心の内へ。

強く、強くあれ。
迷うな。潔く生きろ。
守るべきものを守るために。

――――そして。









「俺はね、良くも悪くも、只の弱い男なんだよ」

知ってるだろうけど、ね。
そう小さく苦笑を零したベルナルドの声は、いつものように凛としているようで、いつもよりもかすかにだが揺れて いた。
充足感と安心感に、少しだけ夢の世界に攫われそうになっていたジャンへその声は現実へと引き戻すだけの力を持っていて、 段々と重くなっていたはずの瞼がふわりと軽くなるから不思議だ。
ベット脇のライトだけが淡く室内を灯しており、ベルナルドの柔らかな髪と輪郭を緩く照らしているのが、やけに鮮やかに感じる。
もう眠りに落ちるだろうと思っていたのだろう、再び瞳を開けたジャンと視線を合わせたベルナルドは、やや驚いているようだった。
それに何となく優越感を感じてしまう自分に苦笑が漏れてしまう。
そんな恋人の様子をどう思ったのか、、起こしてしまったね、と詫びるようにベルナルドはジャンの頬にチュッとキスを落とした。

「いいのよ、ダーリン。眠りに落ちる時も貴方と一緒がいいわ」

「嬉しいよ、ハニー。夢の中でも俺と一緒にダンスを踊ってくれるのかい?」

おどけるように、いつもの軽口を返せば、穏やかな光が眼鏡の奥の瞳に灯る。
ふと彼の背後へと視線を向ければ、窓からの風景が相変わらずひどく殺風景なままなことに気づく。
月もなく、星も見えない夜。空はここ数日重い雲が鎮座し続け、昼間に感じる空気も湿り気を含んでいて鬱陶しい日が続いていた。

以前よりは大分暗闇への耐性がついたとはいえ、触れ合うその指先が時に震えを帯びていることにジャンはしばらく前から気づいていた。
特にそれは、闇が空を覆った時・・・こんな空模様の夜に限って、ということにも。
室内灯をいくら点けたとしても、視界に映ってしまう大きすぎる闇は、奥底に眠る感情を呼び起こすスイッチとなり、 そして未だ払拭などできない恐怖となるものだろう。
一度カーテンを閉めようとしたことがあったのだが、その手を止められた。そのままでいいんだよ、と。
「すぐには無理だろうけど、きっと大丈夫になる・・・ジャンが傍にいるしね」と笑っていた。
ジャンはそれを愛しいと思う。まだ癒えぬ恐怖があるというなら、その時に求められるのが自分であるのならば、 この体も心もいくらだって差し出したいと願うくらいには、自分はこの男を好きなのだから。

「ダンスの御誘いなら喜んで、ダァリン。でも・・・体がちょっと寒いわ」

シーツの中でほんの少しあった二人の空間を詰めて、わざとらしく自分の体を抱きしめる。
上目使いにベルナルドを見上げれば、その瞳は揺れを少し残していたものの、すぐに甘く蕩けるように笑って、 愛しい存在を温めるべく両腕を伸ばした。
先程までずっと離れることのなかった、何度も何度も重なり合った素肌は、あまりに自然に、お互いの肌に心地よく浸透していくようだ。
感じる体温、鼓動。頭で考えるより先に、体がこの男の存在を認めて求めていることにジャンの口元から笑みが零れた。
それは抱きしめる男も同じだったようで。

「お前は本当に・・・すごいな、ジャン」

ギュッと、抱きしめる腕に力が籠った。
隙間なんてものをなくすように・・・強い力のはずなのに、心地良いと感じる。

「時々、お前は俺の一部だったんじゃないかと思うくらいだよ」

「・・・俺も、お前に抱きしめられると安心するぜ・・・?」

こういう関係になる前、薄くはない壁が二人の間にはたしかにあった。
けれどその壁が崩れて、ベルナルドの心に触れることが許される唯一となって。
この腕に抱かれる度に、自惚れではなく、ベルナルドにとって自分はたしかに求められていると感じて。嬉しくて。
同時に、稀に垣間見せる彼の弱さにも、触れたいと願う。触れて、そこから少しでも救い出せたならいいと・・・。
壁がなくなったとはいえ、すべてを見せ合い、吐露できるという訳ではない。
知られたくないこともあるだろうし、知らない方が良いこともあるだろう。
けれど、自分に対して、何か思うことがあるなら伝えてほしい。
そうすれば、迷うことなく、その指先を引き寄せるから。

(アンタがくれる安心感を、俺も何時だって与えたいって思うのは当然だろ?)

先程自分がされたように、ベルナルドの頬へ少しだけ背伸びしてキスを一つ。

「計算高くて、エロくて、ちょいダメで・・・アンタの色んなとこ知ってるつもりだし、知らないことがあるなら、知りてぇなと 思うし。・・・言っとくけど、アンタの弱い部分だって、好き、だし」

あまり直球に感情を伝えることには慣れていないため、頬に熱が集まってくるのが分かる。
自分に注がれているベルナルドの視線も、いつもより熱い気がして。
柄にもなく、声が震えそうだ。

「・・・だから、言えよ。・・・・・俺は、アンタの足りねぇ部分を埋めたいって、思うから」

「・・・・・・・ッ、ジャン」

驚きに染められた瞳。それがすぐ目の前に、と思ったら、視界すべてがエメラルドの瞳で埋まって。
噛みつくような、なのに泣きたくなるような、甘い、キス。

「ん―――!ぁ、ベルゥ・・・・ハ、ァ・・・・っ」

「ジャ、ン・・・・んぅ・・・」

ベルナルドの柔らかい舌が口腔に入り込んできて、舌の根元をグルリと舐められて、思い切り絡めとられる。
息も唾液も、全部持っていかれるかのような激しいキスなのに、心臓が甘く震えるのが止まらない。
思わず閉じてしまった目を開ければ、ベルナルドの熱に浮かされたような視線とぶつかって、さらに心臓が大きく騒ぎ出す。
それに合わせるように、キリ、と舌を噛まれて、目尻に涙が浮かんだのが分かった。

「い、たぁ・・・・あ、や・・・!」

逸らすことができずに、見つめ合った瞳が、愛おしそうに細められる。
噛んだ部分を癒すように、今度は何度も舌で撫でられて、ゾクゾクとした感覚が足元から這い上がってきて。
縋りつくように、ベルナルドの首元へ手を伸ばした。

「本当に、可愛いな・・・・ジャン」

「・・・ァ・・・・は・・・・・」

ゆっくりと唇を離した後、耳元で囁かれて、浮かんでいた涙を吸い取るように目元にキスを落とされる。

「・・・可愛いって・・・・いうな・・・・バカ」

迫力はないだろう目で睨んでみるが、ベルナルドはそれに瞳を細めるばかりで、嬉しそうに唇にチュッともう一度キスをする。

「フフ、俺の世界は、こんなにも狭かったんだね」

何のことを指しているのか判断できずに視線を上げれば、窓から見える真黒な景色を眺めて、何かを思い返しているようだった。
俺を見つめる時とは違う、今の空と同じ、闇を映したような、深く、重い、色。それが、ベルナルドの瞳にはあった。

「・・・俺の世界に、神様なんていなかったんだよ、ずっと」

どこか遠くを見るような、そんな声だった。
・・・きっと、未だ自分の知ることのない過去を思い返しているからなのだろう。
直接語ることはない、聞くこともない。ただ、昔を思い出している時の彼は、決して自分を見ないことは知っていた。
胸のどこかが軋んだような気がする。
それが伝わってしまったのか、ベルナルドの大きな手が髪をそっと撫でた。
安心させるように、瞳を覗きこんできた男には、自分だけしか映っていなくて。・・・嬉しかった。

「苦しくて、怖くて、逃げだしたくて。実態のない神様に祈って。
・・・変わらない現実に突き落とされて」

今思えば都合の良い時にだけ祈ってたんだけどね、と自嘲的に笑った。
俺を撫でる指先は優しいのに、その声は痛々しく思えるほどに、重く。

「神様を怨んだ。そして絶望した。自分を救えるのは自分しかいないと思った。その時から、神様へ祈りを捧げるのはやめたんだ」

「・・・祈るのをやめたんじゃなくて?」

ベルナルドの言葉がいつの時期を指しているのか。初めて投獄された時のことなのか、それともそれだけではないのか。
知りたくないと言ったら嘘になる。けれどそれを問うことは俺はしなかった。
ベルナルドが望んで話してくれた日に、それを受け止めることができたならいい。
俺の質問に、ベルナルドは首を縦に振った。

「あぁ、祈り・・・というか、誓いと言った方が正しいかもしれないけど。教会に行って祈りを捧げる時も、神様ではなくて、 いつも自分の胸の中にだけ・・・ね」

内緒だよ?と、ベルナルドが笑う。

「強く、強くあれ。迷うな。潔く生きろ。守るべきものを守るために。そして、」

「・・・そして?」

「命を賭するべきものは、ただ一つということを忘れるな」

そう答えた瞳は、先程までの表情とは一変して、感情の読めない、深い色をしていた。
真意を伺おうと覗きこもうとしたが、視線に気づいたベルナルドはそれよりも先に、見慣れた、よく知る彼の笑みへと戻ってしまう。
そうして、いつもの柔らかい仕草で、ジャンの輪郭をそっとなぞった。

「俺にとっての世界は、CR:5だけだった。それ以上も、以下もない。組織を守ることが俺にとって命を賭するべきものだった んだよ」

それは正しくベルナルドらしい答えだと思った。幹部の中でも、ベルナルド以上に組織を最優先し、迅速に動く男はいないだろう。
皆それぞれ組織に対し、信念も誓いも強く持っている人間だと感じるが、彼は別格だとも思うほどだ。
特に昔は。知りあって間もないばかりの頃は、身を削り、精神も摩耗し、組織にひたすらに尽くす姿は、あまりに強く残っている。
家族なり、恋人なり、誰にも大切な存在を組織と天秤にかける瞬間というものは一度はあるものだが、 ジャンの記憶を隅から隅まで辿っても、いつだってベルナルドはの答えは悩む一瞬すらなく、組織で間違いなかったはずだ。
・・・ナスターシャという存在を初めて知った時は、だからこそ驚いた。
この男にも大切な者があったのか、と。驚いて、少なからず胸に違和感を覚えたことも確かだった。
だが、ベルナルドは組織を選んだ。そこに至るまでの苦悩や、後の後悔をはかり知ることはできないけれど、 彼は彼女を失うことを選択したのである。

「アンタ、CR:5大好きだもんな」

過去は、過去だ。通り過ぎてきた時よりも、こうして目の前で笑い、自分と共にいる彼が答えだ。
茶化すようにウィンクをしてみれば、ベルナルドは声をあげて笑った。

「ハハ、色気はないがそれは否定できないな。絶対に裏切られることのない存在・・・。 そう思えるのは、本当に・・・組織しか、なかったんだ。」

頬に触れていた手が、ジャンの目元にかかっていた髪を掬った。

「それに対し、不満はなかったよ。だから、驚いた。お前を・・・・知って」

「俺?」

あぁ、と頷きを返すと、ベルナルドは額を合わせ、ジャンの蜂蜜色の瞳に自分を映した。

「ジャンを知って、お前と話す度に、喜ぶ俺がいて・・・お前が笑うのが嬉しくて、だけど」

一度瞼を閉じると。

「・・・怖かった」

震えるように紡がれた言葉も、薄らと開いた瞳も、揺れていた。
その視線は、自身の腕から見えている、組織の証である刻印へと向いている。

「命を賭するべきものは一つだけ。大切なものが増えれば増えるだけ、人は弱くなる。そうして、守ることが困難になる。 だから俺は、組織以上の存在を持つことを無意識に拒否していた」

「・・・あぁ」

思い浮かんだ記憶の数々に、自然と肯定の言葉が零れた。
ベルナルドのジャンへ対する想いは、随分前からのものだということはジャン自身本人から聞いて知っていた。
その想いを知る前。軽口を叩き、戯れに触れ合っていただけの日々。
確かに、ベルナルドは他人に対して一定以上の距離を保っていたし、多少の差があったとしても、 ジャンに対して踏み込ませない境界線が引かれていて。それは意識的というにはあまりにも自然だった。

「でも、その境界線を越えてきたのはアンタだろ?ベルナルド」

脱獄後の山小屋で、初めて触れられた時の熱を思い出す。
あの時も、そして路地裏で初めて抱かれた夜だって、手を伸ばしてきたのは彼だ。(それを振りほどかなかったのも、逃げなかったのも 自分だけれど)
その思いを込めてベルナルドに「ん?」と目で問えば、目を細めて困ったように苦笑するばかり。

「・・・そうだよ。お前のせいで、俺じゃないような感覚がたくさん出てきて・・・自制ができなくなっていった」

「俺のせいってなんだよ。強姦魔さん」

本気で抵抗はしなかったけれど、強姦は強姦ですよーと目の前の綺麗な鼻を軽く摘まんでやった。

「うん・・・ゴメン。でもいっそ怖くなるくらいだったんだよ。脱獄後、お前との時間が増えて、前よりずっと近づいて。
お前の声を聞いて、存在がいつだって近くにあって・・・俺が俺でなくなるくらいに、ジャンの存在はどんどん俺の中で膨れ上がっていって。
変わっていくことが怖かったんだ」

ゆらゆらと瞳の中に見える光は、ジャンは以前にも何度も見たことがあった。
ベルナルドの距離が急速に近づいていったあの頃、自分を見る時に、それはいて。多分、ベルナルド自身は気づいてないだろうけれど。

「同時に、情熱っていうものがまだ俺にもあったんだって驚いたよ。お前が欲しくてたまらなくて、それ以上にお前を守りたくて。
・・・気づいたら、俺にとって唯一の存在だったはずの組織を、ジャンは飛び越してた」

「けど、アンタは組織を守ることから決して逃げなかった」

確信に近い疑いをもったまま、デイヴィットの元へ単身向かったことも。
・・・恋人であったはずの、ナスターシャを利用するという決断をしてまでも。

「そうだね・・・組織を守りたかったし、お前も、守りたかった。
・・・俺にとって組織は捨てられない。
でも、今、はっきりと言える。お前こそが、俺にとって唯一の存在だ、ジャン」

抱きしめられていた腕の力が、少し強まる。

「いつか・・・組織か、お前を選ぶしかない時がきた時、俺は必ず、お前を選ぶ。お前が望もうと望まざると関係なく、ね」

ベルナルドの指先は、震えていた。暗闇のためにではなく、それはもしかしたら起こりうるかもしれない、決断への不安。
組織が大事なことには変わらないだろう。
しかし、ナスターシャの時の決断は、きっと彼の中に、大きな後悔と懺悔を残したのも、またたしかな事実だ。
何かを失って、何かを守れる。ベルナルドの今までの人生の中で、出された答えは間違いではないかもしれない。
ジャンを守るためになら、彼はいくらでもその痛みを繰り返すことをいとわないと、言葉以上に、瞳が語っている。

「良くも悪くも、俺は只の弱い男だって言っただろ?
何かを・・・例え組織を犠牲にすることになっても、俺は愛するお前を守る 選択をするよ。
その時、お前がそれでも俺の隣にいてくれるかだけが、怖いけれど」

震えは止まないくせに。そのくせ、瞳にはもう迷うような揺れもなくて、ジャンを射抜くように見つめていた。
それを受け止め、ジャンは笑った。この男は何時だって背負い込む。
自分一人で、最大限の力を使って、自身の命や安全は二の次三の次で、守ろうとする。
そうして気づかない。
同じように自分が、「守りたい」という願いを向けられているということに。

「ベルナルド、お前、俺を誰だと思ってるワケ?ラッキードッグだぜ。そんでもって、アンタらCR:5のボス、だぜ」

大勢の前で胸を張って言えるまでには、まだ時間がかかるだろうけれど、仲間を・・・ベルナルドを守りたい。
守られる存在ではあるが、守る存在でありたいというのは当たり前のことだろう。
ボスという責任もある。一人の人間として、仲間と共に在りたいと思う。それ以上に、恋人一人を守れる男でいたいと願う。
彼が笑顔でいられる場所を、与えたい。隣で笑いあいたい。

「そんな決断させるかよ。俺は、お前を守りたい。そんでもって、俺とお前の家で、仲間たちのいる組織だって守りたい。
どっちかなんて、ぜってーヤダね」

見開かれた瞳に、ウィンクを一つ。誓うように、唇にチュっとキスをした。

「どんな状況になっても、俺は諦めない。欲しいものは手放さない。お前が不安に思う未来なんて来させない。 だって俺は―――――」

「ラッキードッグ、ジャンカルロ」

息を呑むような、そんな表情をした後、参った、というように、ベルナルドが目元を右手で覆った。
ジャンの言葉を遮るように続けた言葉には笑いが含まれていた。楽しそうに、泣きそうに。

「でもね、違うよ、ジャン。お前がラッキードッグだから、信じるワケじゃない。
お前がお前でいてくれるから・・・
いつだってお前だけが輝かしい存在なんだよ」

それはずっと前から・・・もう二度と来ることはないと誓っていたはずの牢獄に再び投獄されたあの時ですら、 ジャンの輝きは変わらずベルナルドを救っていたのだから。
強がりとしか言えないような台詞だとしても、それを紡いだのがジャンであれば、ベルナルドにとっては 例え大統領の言葉よりも何十倍だって強い効力を発揮する。
ジャンはそれを理解しているのだろうか、そっか、と小さく笑って、だったらさ、と呟いた。

「今の俺の言葉を信じろよ。
今まで通り俺の隣にいて、お前が不安に思う未来なんて来るはずもない、組織を作り上げろ、ベルナルド。
俺に人生のすべてをくれるんだろ?だったら―――俺の人生も、アンタにやるよ」

「ジャン・・・・・」

「・・・俺は、アンタと一緒にいる。
またアンタが一人で無謀なことするなら止めてやるし、無理だったら絶対に一緒に行く・・・ 死が二人を別つまで共に、ってやつだ。
守りたいって、願ってるのが自分だけだなんて思うなよ、ダメ親父。

――――ここまで俺に言わせといて、まだ不安とか言ったら殴っかんな」

「ハハッ・・・・・!」

隠すことなく何か吹っ切れたように笑い始めた恋人に、先程まであった揺れは見えない。
普段あまり見ることのない、こうして感情を露わにしているベルナルドの姿は好きだ。
自分といる時にだけ見せる緩んだ笑顔も、露わになる弱さも、まるで子供のような嫉妬心すらも・・・ 嬉しいと思ってしまうのが我ながら理解しがたい。

(あぁ、そっか)

頭に浮かんだある言葉が、妙にストンと馴染んで、ベルナルドの笑い声が伝染したかのようにジャンの口からも思わず声が漏れた。

(バカな子ほど可愛い―――ってことかね)

てっきり母性に訴えかけるものかと今まで思っていたが、それは恋人にも精通するものだったらしい。
あんまり想像はできないけれど、仕事以外でも自信溢れる幹部筆頭らしい男に育ててやることも一興かもしれないなんて、 そんな考えがジャンの頭を過った。

「なぁ、ベルナルド――――っわ!」

もう一度キスのサービスでもしてやろうかと名を呼んだジャンの世界が、グルリと回転する。
ほんの数秒で、ベルナルドの首に回したままだった腕はなぜか頭上で一纏めにされ、満足気に笑う恋人の先に見えるのは 汚れ一つさえ見当たらない真っ白な天井ばかりだ。
えーと、と視線を彷徨わせて現状を理解した後、自分を見下ろしている男を一睨み。

「こら、ベルナルドおじさん」

「なんだい、マイスウィート」

「回復早すぎません?」

「あんな熱烈な告白をされたら、ね。―――ジャン」

すっかりいつものベルナルドに戻った、と思ったら。急に耳元で低く名前を呼ばれた。



















「ありがとう」





飾り気も何もないその言葉は、ベルナルドらしくないように思えた。
だが、だからこそ、こんなにも胸に響くのだろうとも感じる。
ジャンは声にはせず、目元を細めて、キス、と唇を動かして小さく強請った。
甘すぎる瞳に、闇のかけらなど見当たらず、思わず目を逸らしてしまいたくなるくらいにジャンの姿だけが映っている。
多分、ジャンの瞳も同じように、ベルナルドだけが映っているのだろうと思うと、口元が勝手に笑みを作ってしまうのが分かった。

(俺の世界も、大概狭くなっちまったみたいだ)

絡めとられる舌の熱さと、肌に触れる男の温もりに脳が支配される前に、ジャンはすっかり毒されてしまったと 些細な反抗とばかりにベルナルドの舌を小さく噛んだ。















小さな世界。
(ジャン、お前だけだ。お前だけが、今の俺の世界だ)
(・・・知ってるよ、ダーリン)













 END.










恥ずかしい大人が二人になってしまいました。
ベルナルドの弱さも、ジャンは好きだと思います。
最後まで読んで下さって、有難うございました。




2009年10月27日