青天の霹靂、という言葉を、バーナビーは先日折紙に教えてもらったばかりだった。

青く晴れた空に突然に起こる雷のように、予想しえない、突然の大事件を指す意味なのだと言う。
まったく、日本人というものは考えが深いと言うか、表現豊かと言うか・・・と、いつもバーナビーは 言葉の意味に驚かされている。
虎徹に知り合ってからというもの、ジャパニーズに興味を持つようになったバーナビーは、折紙と トレーニングで偶然会った時などに日本語の中でも難しい言葉や格言を教えてもらうようになっていた。
身近にいる虎徹に聞かないのは、ふとした時にそういった言葉を使うことで、 虎徹が僅かに驚いた後、嬉しそうにバーナビーを褒めてくれるのだ。
『よく知ってるな〜』と、琥珀色のあの瞳を細めて、まるで小さな子供を褒めるように頭を撫でてくれる。
バーナビーはそれが嫌いではない。その時の虎徹の表情が・・・可愛い、と思うからだ。
そもそも、あの細すぎる腰といい、甘えるように見つめてくる瞳といい、自分に向けてくる笑顔をいい、 虎徹という存在自体を『可愛い』と言わずに何と言えばいいのか。

(・・・違う、そうじゃない)

今考えるべきはそれじゃない。
確かに彼はたまらなく可愛いが、それよりも現状を理解することの方が最善だ。
ちらり、と隣へ視線を移せば、心臓がドクリと高鳴って、ギュッとシーツを握りしめた。
肌触りの良いシーツ、広々としたキングサイズのベッド。いつも通りのバーナビーの自宅の寝室だ。
枕元に置いておいたリモコンを手に取りスイッチを押せば、カーテンが自動的に開き、まだ薄暗いシュテルンビルド の姿が現れる。夜明けまではあと1時間ほどだろうか。
普段であれば、この後シャワーを浴び、ゆっくりと支度を始めるところなのだが・・・ とてもではないが、今日は無理だ。
頭を抱えても、こうなった経緯がさっぱり分からない。思い出せない。

正に、『青天の霹靂』だ。














隣に、なぜ、裸の虎徹が寝ているのだろうか。















(落ち着け、バーナビー・ブルックス・Jr・・・!)

まるで念仏のように、何度も自分に言い聞かせながら、現状を理解することに務めようとした。

(昨日は・・・たしか・・・)

ズキリと僅かに痛みの走った頭。
それと共にぼんやりと浮かんでくる風景。

(そうだ・・・虎徹さんに誘われて、バーに行って)

昨日の出動では虎徹もバーナビーと共にいつも以上に活躍をし、ポイントも稼いだ。
ヒーローインタビューでも普段はバーナビーに偏りがちなものだが、昨日は虎徹にも長い時間マイクが向けられていたことが 嬉しかったらしい。
上機嫌で酒を煽る虎徹の頬が僅かに染まるのに見惚れ、酒に強いはずの彼も飲み過ぎのためか少しほろ酔いになり、 バーナビーの肩に寄りかかってきて。
『なぁ、バニ―ちゃん家、行ってもいい?』 そう、上目使いに強請ったのだ。
虎徹と勧められるまま、同じペースで酒を飲んでいたバーナビーも酔っていて、それでも肩から伝わってくる虎徹の体温が ひどく熱く感じたことは覚えている。
きっと普段であれば、酒の入っていない素面であれば、適当な理由を言って虎徹を帰しただろう。
こんなほろ酔いで無防備に寄りかかってくるような虎徹が間近にいて、何もせずにいられるかと言えば、断言はできない。
だが昨日は酔っていた。
・・・想い人と一緒にいたいという単純な思考に、バーナビーは従った。

そこで、回想は途切れた。
どうやって帰ってきたのか、部屋に入って飲み直したのか、すぐに・・・ベッドに行ったのか。
やはり肝心な所は、さっぱり分からない。

またズキリと頭が痛んだ。
相当飲んだことだけは確かなようだ。
隣からは健やかな寝息が僅かに聞こえてくる。まだ起きる様子はないようでホッとする。
とてもではないが今起きられてはどう対処していいか分からない。
この現状を、万が一、バーナビーが作り上げたのだとしたら・・・例えば、酔って歯止めを利かなくなった感情のまま、 虎徹をベッドに押し倒し、その体を無理やり貪ったのだとしたのなら。

『バニーがあんなことしてくるなんて思わなかった・・・もうコンビ解消だな・・・バイバイ、バニー』

そう言って、自分に背を向ける虎徹の姿を想像して、バーナビーはますます頭を抱えた。
まだ告白すらしていないのに、関係を発展させることよりも終わることを恐れて、今まで必死に抱きしめそうになる手を我慢して いたというのに。

(待て、落ち着け、バーナビー・ブルックス・Jr・・・!)

再びバーナビーは念仏のように唱え始めた。
そこまで最悪の事態を考えるな。
なぜなら、バーナビーの虎徹への想いは、そんな柔なものではないからだ。
例え酔っていたとしても、バーナビーは虎徹が嫌がったりしたのなら絶対にその手を止めている。
・・・もしかしたら未遂なのではないだろうか。
バーナビーは元々裸で寝る習慣があるから裸でも問題はない。問題があるのなら、虎徹だ。

(本当に、裸・・・なのか?虎徹さん・・・・・)

シーツから見えている程良く日焼けした素肌。肩より少ししたまでの滑らかな肌が見える。
しかし、その下・・・つまりは下肢部分まで裸なのかは分からない。
だが、シーツを捲って確認するような度胸がバーナビーにあるはずもない。
今の状況でさえ、心臓は限界スピードを越えているし、虎徹を直視することさえできない・・・となれば、他の部分から判断する選択しかないだろう。
目の保養を通り越し、毒になるだろう隣の人物が視界に入らないよう部屋を見回す。
見慣れた自らのジャケットやシャツが無造作に脱ぎ捨ててある。それを始点としてベッドに続くにつれ、自分の服が転々と落ちており、 その付近に・・・虎徹の物だと思われる見慣れた服もあった。

(帽子・・・ネクタイ・・・シャツ・・・)

ベッドの真横に視線を流すと。

「・・・・・ッ」

あった。
虎徹のズボンと下着がぐしゃりと落ちていた。
何度か瞬きをしてしまうが、現実は変わらず、何度見てもそこにあることには変わらない。
その事実を理解したバーナビーの脳は、さらに混乱を極めることになった。
広いベッドの上、1人膝を抱え、目を固く閉じて、再び自問自答を始めてしまう。

(ぼ、僕は・・・昨夜虎徹さんに何を・・・!もし虎徹さんに手を出していたとして、なんでそんなオイシイことを僕の脳も 僕の手も覚えていないんだ・・・!って、違う、そうじゃないだろうバーナビー!これからどうすればいいかを考えろ・・・! とにかく落ち着け、落ち着くんだ・・・ッ!!)

今現在、全裸で無防備に眠っている虎徹が隣にいる。
果たして、虎徹に手を出してしまったのかどうかは判断ができないが、穏やかに寝ているところを見ると、 無理強いをした訳ではないだろう・・・多分。そう信じたい。
もしかしたら、ただ単に酔っぱらった虎徹が自ら脱いで、眠気に誘われるままバーナビーのベッドへ潜り込んだだけかもしれない。
どちらにしても、バーナビーが当初考えていた最悪の展開ではないと、希望的観測ではあるが考えられる。
だが最大の問題は、バーナビーの記憶が一切ない、ということだ。
やがて目を覚ましてしまう虎徹へ、どう対処すべきなのかがさっぱり分からない。

(『おはようございます、虎徹さん。昨夜は酔っぱらってしまってすみませんでした』・・・無難な台詞から始めるべきか? ・・・いや、それとも・・・『貴方と一緒にこうして朝を迎えられるなんて幸せです』と思いきった台詞を言って、反応を伺う方が 得策だろうか・・・?だがしかし・・・)

「う・・・んぅ・・・・・」

突如聞こえてきた小さな声に、思考の海に沈んでいたバーナビーの体は弾かれるように大きく揺れた。
閉じていた瞼を開け、恐る恐る隣を伺うと、柔らかそうな黒髪を揺らして虎徹が身じろぎしている。
意識が夢と現実を行き来しているのだろう、んぅ、といつもより甘えたな可愛らしい声を何度か洩らしている。
硬直した状態で虎徹をじっと見ていると、反対方向を向いていた体がくるりとこちら側を向いた。あまりに突然のことで 一瞬心臓が止まりかけたが、虎徹の瞼は閉じたままだった。
夢を見ているのだろうか、むにゃむにゃと唇が動いているが、何を紡いでいるのかは分からない。
だが、その表情は、とても幸せそうだった。
擽ったそうに微笑んで、シーツを握りしめている姿に、バーナビーの胸にジワリと愛しさが溢れる。

「・・・バ、二ィ・・・」

再びバーナビーの体が先程よりも大きく揺れた。
だが、名前を呼んだ張本人は相変わらず穏やかに眠っているようだ。
しかも先程よりもさらに幸せそうに笑っている。

(ッ・・・僕の名前を呼ぶ、とか・・・)

本当に心臓を止めようとでもしてるのではないだろうか、このおじさんは。
愛しさを通り越して、いっそ恨めしさでも出てきそうだ。
・・・出てきそうなだけで、結局のところ、愛しさが増しただけだったが。

そのまま様子を観察していると、どうやらまだ起きる気配はないようだが、定期的に、虎徹の唇が動いている。
何か紡いだ後に、あまりに穏やかに、嬉しそうに笑うものだから、段々と気になってきてしまう。
音を立てないように慎重に体を動かしながら、自らの耳元を虎徹の口元へと近づけた。時折触れる息がくすぐったくて、 思わず肩を竦めてしまった時だった。

「バニィ・・・・す、き・・・・・」

反射的に、思い切り飛び退いてしまった。
ベッドが大きく揺れたが、これはしょうがない。不可抗力だ。
想い人に、無意識とはいえ(この場合、無意識の方が罪だが)、このようなことをされて動揺しない人間はいないだろう。

(虎徹さんが、僕のことを好きって・・・・・)

ドッドッと心臓が煩い。
虎徹からの『好き』という言葉に脳が埋め尽くされ、状況を確認するのが遅れた。
突然のベッドの揺れにより意識が浮上したのか、虎徹の瞼が動き、眉間に皺がよっていく。
何度か体が左右に動いた後、薄らとその瞳が開いてしまう。
バーナビーが虎徹の覚醒に気づいたのは、不覚にもそれと同時だった。
心の準備を一切していなかったバーナビーは、間抜けにも、そのまま虎徹の視線と緩やかに重なっていく。

「・・・お、はよう・・・ございます・・・・・」

ボンヤリとした表情で見つめてくる虎徹に、何か言わなければ、と心の中で焦ったバーナビーの口から出てきたのは、結局 無難すぎる台詞だった。
失敗した・・・と即座に肩を落としてしまいそうになったが、虎徹は心底嬉しそうに、笑いかけてくる。

「おはよう、バニ―ちゃん・・・」

寝ころんだまま、少し目元を赤く染めて、上目使いにバーナビーの名前を呼んだ。
その仕草だけでもバーナビーにとっては十分な殺傷能力を持っていたが、虎徹はさらに追い打ちをかけるかのように両手を差し出して きた。

「バニー、なんでそんな離れてるんだよ、寒いだろ・・・?」

バーナビーが先程飛び退いてしまったために、二人の間には少し距離があった。それは理解できるが、伸ばされた腕の意味が分からず、 何と返したらいいのか判断できない。
元々混乱でいっぱいいっぱいになっていたところに、寝起きの、しかもバーナビーが夢見ていたような虎徹の姿に、脳の許容量はすでに 越えているにも等しかった。
真っ赤になって自分を見つめたままのバーナビーに笑いを洩らした虎徹は、自分から男の元へ近づいていく。
肩からシーツは滑り落ち、薄く筋肉のついた、綺麗な胸元が露わになる。鎖骨から胸元にかけて、赤い鬱血の跡がいくつもあった。
その光景に思わず声もなく見惚れてしまう。

「こ、虎徹さんッ・・・!」

固まっていたバーナビーも、虎徹の腕が自分の首に回されるとさすがに意識を取り戻した。
素肌同士が触れ合う感覚に、ゾワリと背筋に寒気に似たものが走る。

「なに?バニ―ちゃん?」

そんなバーナビーを知ってか知らずか、虎徹は足まで絡め始める。
ピッタリと体を寄せ合い、バーナビーの胸元へ頬を擦りよせる虎徹に、息すらうまくできなくなってしまいそうだ。
驚くほど高鳴る心音に気づいたのだろう、虎徹が楽しげに笑う。

「すげぇな・・・ドクドク言ってる・・・」

「あ、なたが・・・こんな近くにいるからです・・・・・」

「・・・そっか・・・嬉しいな・・・・」

うっとりとした声色で呟く虎徹に、ますます心臓が大きく鳴った。

(可愛い過ぎるッ・・・!何なんですか虎徹さん!襲われたいんですか・・・・・!)

心の中で理性と葛藤しているが、それもいつまで持つのか分からないほどにはギリギリだ。
あまりに夢のような現実に、バーナビーは未だ虎徹の肌に自ら触れることすらできないでいた。
触れたら最後、虎徹の意思よりも、自分の欲望に走ってしまいそうな自分がいるからこそだった。

「バニ―ちゃん・・・?なんで触れてくんねぇの?」

だが虎徹にとっては、一向に抱きしめてくれないことに不安を覚えたようで、瞳を揺らして、バーナビーを見上げてくる。
澄んだ琥珀色に自分の姿が映っていた。ほんの少し動けば、唇が触れ合えるほどの距離に虎徹がいる。
何度こんな現実を願ったことだろうか分からない。
その瞳に自分だけを映し、息すら奪うほどに、激しく口付けたいと。
細い腰を抱いて、全身にキスをして、虎徹のすべてを手に入れたいと、本当にずっと、願っていた。

「・・・すみません・・・何だか、夢を見てるようで・・・・・」

「夢・・・?」

無意識に呟いた言葉は素直な気持ちだったが、不安げにバーナビーの答えを待っていた虎徹にとっては、まったく逆の意味に 伝わってしまったらしい。
指先が僅かに震えを帯びたのが皮膚から感じた。どうしたのだろうか、と虎徹を見ると、今にも泣き出しそうな表情をしている。

「バニ―ちゃん・・・後悔・・・してる・・・?」

「え・・・・?」

「俺と・・・したこと、後悔、してる?」

あまりに予想外の台詞に、反応が遅れてしまった。
幸せ、という言葉以外に表現の仕様がない今の状況とは真逆過ぎるそれに、意味を理解するのに数秒フリーズしたためである。

「そう、だよな・・・・・ワリィ、バニ―酔ってたもんな・・・?ゴメン・・・勘違いして・・・・・」

そう言って、触れていた指先から力が抜け、するりと暖かい体温が離れていく。

「・・・俺、帰るな。また、会社で」

寂しげに薄く笑う。違うんです、と手を伸ばす前に、虎徹は振り向いた。

「でも、俺は―――――後悔してないから」

何かを考えるよりも前に、その長い脚がベッドから降りてしまう前に、バーナビーの手が虎徹の肩を掴んだ。
大きく見開かれる瞳、柔らかなベッドにその肢体を押し倒し、焦りと愛しさを隠すことなく浮かべた瞳で精一杯の言葉を囁く。

「好きです、虎徹さん」

「バニー・・・・・ホントに?」

「ずっと、ずっと好きでした・・・本当に、貴方だけを・・・好きなんです」

琥珀色が嬉しそうに蕩け、バーナビーの背中へ腕が回される。

「うん・・・・・俺も、好き」

首筋に顔を埋め、小さな声で告げられた言葉にバーナビーは感情のままに強く抱きしめる。
艶やかな髪にキスの雨を降らせながら、至福に浸った。
そんなバーナビーにとって、自分の記憶の抜け落ちた昨夜のことなど、すでに遠い彼方へ消えていた。
だから気づくこともないし、見ることもない。
それは彼にとって幸せなことに違いないだろう。

(バニ―ちゃん、あれだけ迫っても手出してくんねぇんだもんなぁ・・・ったく)

虎徹は胸の内で小さくため息をつきながら、二ヤリという形容が相応しい笑い方をした。
思い出すのは昨夜のこと。
ずっと自分へ向けられていた熱過ぎる視線の意味も分かっていたつもりだし、虎徹自身も同じ意味で相手を思っていた。
しかし一向にアクションを起こしてくれないバーナビーに、昨夜虎徹は荒療治に出ることとなる。
酔ったフリをして自宅へ押し掛けて、寝室へ連れ込んで。
自ら脱いで、バーナビーも無理やり脱がして迫るという大胆な行動だ。
だというのに、当の本人は興奮の色を露わにしていたのに、キスをして、虎徹の肌に痕をいくつも残したと同時に 興奮と酔いが最高潮に達したのだろう・・・そのまま気を失うように眠ってしまったのだ。
酒を使えば箍が外れるかと思ったが、外れたものの、そううまくは事は運んでくれなかった。

(ま・・・これでバニ―ちゃんは俺のもの)

一人置いてけぼりにされた夜の切なさに比べれば、 酔った後、記憶をよく失くすことを逆手に既成事実を作ってしまうことなど可愛い悪戯だろう。
こうでもしなければ、いつまでたってもバディから恋人へステップアップなんてできやしない。
細かく体を見られれば違和感に気づかれてしまうかもしれないが、浮かれているバーナビーをうまくやり過ごすことなど、 ひどく簡単なことだ。

「虎徹さん、必ず幸せにしますから・・・」

「・・・よろしくな、バニー」

恋の成就した幸福に溺れる男がその事実に気づくことは、一生ないだろう。







Swindler

(騙した方も、騙された方も、幸せです)















 END.









バニーちゃんはおじさん関係になると途端におバカになると思います。



2012年3月31日